身近な朝鮮を訪ねて その1 会報第2号から
身近な韓国、朝鮮、日本について考えてみるコーナーを会報に連載していますので、Blogでもご紹介します。
第一回目の今回は、彦根城で有名な滋賀県彦根市まで足を伸ばしてみました。
彦根城の天守閣を見た後、城につながる「両替商」の古い看板がかかる銀行や「厠」と書かれた古風なトイレなど江戸時代の街並みを再現した「夢京橋キャッスルロード」のちょうど中ころにある宗安寺に立ち寄ってみました。写真にあるようにの朱塗りの立派な赤門(写真)とその隣に小さな黒門があります。
鎖国中の江戸時代でも唯一国交があったのは朝鮮で、その親善使節が朝鮮通信使。江戸時代だけで12回、しかもその規模は300〜500人規模というのですからきっとその多彩さ壮麗さは想像以上のものだったと思います。朝鮮舞踊も当然踊られたでしょうし、当時の日本人はどのような印象を持ったのでしょうね。その朝鮮通信使たちが対馬から瀬戸内を回り、大阪から陸路をとり、京都、大津そして彦根宗安寺で宿をとったそうです。
黒門の入り口に立てられた案内板には「(朝鮮通信使)その正使ら高官の宿泊所となった。この黒門は、そのときのご馳走搬入の勝手口につかわれた」と書かれていました。通信使をもてなすための猪、鶏、雉などの生物を、寺の正門から運ぶことをはばかって建てられた門だそうです。しかし、以前は「朝鮮通信使を正門から招じ入れるのを避けるために建てた門」と事実をゆがめて説明されていて、その後在日韓国人の努力によって改められたそうです。
江戸時代の二百数十年にわたって友好的な関係を築き政治的にも文化的にも多くのものを吸収し合った時代があったという歴史的事実はいつからゆがめられてしまったのでしょうか。韓流ブームの今、私たちの舞が少しでも韓国と日本の架け橋になればと願ってやみません。 ちょっとかたい話でしたね。